昭和44年9月11日 夜の御理解 中村良一
せっかく、信心をさして頂くのですから、せっかく、信心をさしてもらうんだから、おかげを頂かなきゃならんと言うのではなくて、せっかく、信心をさして頂くのだから、自分の心のなかに、何時も、おー、信心を頂いておる喜びと言うようなもの、いわゆる、心の助かりと言うようなものが、いただけなかったら値打ちがない。為には、やはりあの、真剣に、信心が出来なきゃならんと同時に、しみじみとした信心が出来なきゃいけんと思うですね。ですからまあ、しみじみとしたという、なかなか、あー、おかげを頂き過ぎても、どうも、上っ調子になりがちですけれども、例えばね、あのー、人に軽う扱われたり、軽う見られたり、馬鹿にされたりと言うようなときがありますよね。もう、そういう時にはもう、一番自分と言うものを、本気で見極めるチャンスだと思うね。例えばほんなら、子供が親に対してから、親に対して、何ごつ言いよるのというような時ですよね。一番しみじみとした信心が出来るのは。もうほんとに、しみじみとですね、あのー、自分と言うものを反省すると、そういう時より、なら、そういう時ほど、もう本当に、自分の、やはり、信心の目の荒さと言うか、あー、なるほど、おー、軽う見られるはずだと、いう事を聞かんはずだと言ったようなものを、自分の心のなかに、見出すことが出来るんですからね。そういう時に、初めてこの、しみじみとした信心が出来る。してみると、もう、この人、例えば、私なら私を軽う見た、あー、例えばその、信者がおったり、弟子がおったりすると致しましょうかね。その時に、もうその、そう言うたびに、自分というものを深めていくことが出来るし、神様には、そういう時に、いよいよ、しみじみとした信心が、言うなら、御祈念が出来るんですよ。御祈念なら御祈念が、ね。ですから、その、おかげを頂きたいと言うことが、本当にあの、そういう時に、何ち言うかねえ。信心いただいとるきん有難いな。こういう時が、信心がないなら、親子喧嘩しなければならなかったり、例えばその、人間関係がもつれて行く元になるのじゃろとこう思うですね。ですから、そういう時を狙って、言うなら、しみじみとした信心さして貰うて、本気で一つ、より良いおかげ、有難いおかげを頂いていくためにはね。おかげを受けなきゃならん。とにかくあの、信心さして頂いてね、しみじみ御祈念が出来るとか、しみじみ神様に向かえれるという時は、本当言うたら、そう大してないんですよ。おかげをうける、受けるほど、どうしても、上っ調子になっていきがちなんですよ。ね。ですから、そういう、例えば、普通でいうならば、くーっとしたり、腹が立ったりといったような時に、むしろ、あの、良い信心が出来るようなおかげを頂くとよいですね。どうぞ。